逆境の大学生活
須藤さん
東海大学は入学が決まった段階では関東二部だった。
もちろん本当は一部に所属する大学へ行きたかったけど無理だったので。
願書を出してセレクションを受けて、合格したまでは良かったんだけどね。
ただ、入学と同時にチームが県リーグへ落ちちゃって・・・。
須藤さん
それで最初はすごく行きたくなくって。
一応、高校で桐光という強豪で選手権まで行ったっていう自負もあったからね。
それでも1年で元へ戻してやるって意気込みでやったけど上手く行かず・・・。
ずっと上がれず、陽の目も見れず。
その間に高校の同級生たちはインカレで活躍してユニバ代表になったりしてるわけで。
なんで俺だけってすごく悔しくてね。
辞めてやろうとまで思ったりもした。
でも、ここでやめても一緒だなと気づいてね。せっかくだから最後までやってみようと。
それで、なんとか4年生の時には関東2部に戻したんだよね。
4年生の意地みたいなものかな。
だた、今思い返しても、都道府県リーグのチームだと、他の人は全然本気ではないね。
他の人達は遊びに行くし、バイトも行くし。
これに流されたらだめになると思って、一人で必死に練習した。
サポサポ
そういう環境で、周りに流されないようにするのは大変ですよね。
須藤さん
精神力も鍛えられたね。
でも、そのおかげでずっと練習をしていたから上手くなったね。
高校時代の仲間には「お前、本当にうまくなったな」って言われるようになったし。
高校時代は本当に下手だったから、余計にそう見えたのかも。
大学は自分で何とかしなければ勝てないっていう状況だった。
高校の時はキープしてボールを渡せば決めてくれる人がいたし、シュートするだけのボールを出してくれる人もいたからね。
大学は、こいつにパスしても決められないなって感じだったから、自分で振り返ってボールを持って行ってシュートするしか無かった。
そんなプレーをしていたから、監督とは喧嘩したけどね。
周りの人を信頼しろって言われて。
でも、普段を見ていたらプレーでの信頼は出来ないよね、やっぱり。
サポサポ
練習しないで遊びに行く姿を見ていたら、そう感じてしまうのも仕方ないかもしれないです。
須藤さん
そんな尖っていたせいもあって、孤立してしまったこともあった。
それでも、続けているうちに最後には仲間も出来て、結果も出せた。
サポサポ
恵まれている環境にあったら、同じように上達したと思いますか。
須藤さん
いや、あの環境だからこそだと思う。
俊輔なんて走ってればそこにピッタリのボールを出してくれたもんね。
決めるのが楽だったよ。
大学にそんな選手は当然いなかったから。その分自分がうまくなるしかない。
サポサポ
逆境によって普通よりも成長できた可能性があると。
須藤さん
逆境こそチャンスって言うよね。
ホント、それだと思う。
サポサポ
話としては聞きますけど、なかなか実際には出来ないですよね。
須藤さん
でも、なんとかなる。
情熱を持って諦めなければなんとかなるっていうのは、この時代から培われたものだと思う。
プロへの道
サポサポ
大学のあとの進路はどうやって決めたんでしょうか。
須藤さん
関東リーグではなかったから、スカウトの目にとまることもないし、Jリーグからのオファーも当然なくて。
自分から練習へ参加したり、セレクションを受けに行ったりした。
もちろん、何個も何個も落ちて。
ダメかなと思ったんだけど「俺、普通に就職するかも」って言った時におかんに「あんた、何言ってるの」って言われてね。
須藤さん
ホントに。
ただ、大学の監督には「お前は絶対プロになれねえよ、なったとしても二年でクビになったらどうするの」って言われた。
サポサポ
かなりネガティブなことを言われましたね。
須藤さん
でも、その言葉に発奮してね。やってやるぞと。
最終的には水戸と甲府に合格したんだよね。
サポサポ
甲府も合格してたんですね。
水戸を選んだ理由は何だったんでしょうか。
須藤さん
セレクションを受けて、合格が決まった直後に水戸の監督から直接連絡が来てね。
一緒にやろう、9番を空けて待っている、って言われて。
関東地区における大学サッカーリーグ戦は、関東リーグ(1・2部)と、下部の各都道府県リーグで構成されています。
1部と2部、2部と都道府県リーグでは入れ替え戦が行われます。
関東の都道府県リーグは、東京都(山梨県を含む)・神奈川県・千葉県・埼玉県・北関東(茨城・栃木・群馬の各県)で分けられています。