10番を背負った高校時代
サポサポ
高校というと1年後輩の有名選手が話題になりますが。
サポサポ
その中村俊輔さんの1年先輩で10番をつけていたのが須藤さんなんですよね。
須藤さん
そうそう。
俊輔に「お前やってみるか」って言って譲った(笑)
桐光はずっと点を取れる人が10番を付けてきたからね。
俺の前の人もそうで、俺自身が10番を着けるときも、その人から指名される形だった。
もちろん、指名があった上で周りからも認められないとダメだけど。
俊輔の時は、あれだけの選手だったから、周りもなって当然って感じだった。
桐光の10番というのはやはりエースだったから。
まあ、俊輔で一気に価値が上がったけどね(笑)
でも、あいつも苦労してるからね。
高校に入るときに、ユースへ行けなかったりとかね。
サポサポ
高校生活においてプロ生活に影響を与えたことはありますか。
須藤さん
高校でも中学と一緒だったね。
とにかく基本を大切にするという点で。
俺は本当に下手くそで「お前なんでこれをキープできないんだよ」って怒られることもしょっちゅうだった。
ただ、FWとして点を取るのは上手かったよ。
ひとつはっきり言えることは、FWは点を取れれば生き残れる。
どんなに下手でも点を取れば結果として見てもらえる。
もちろん、下手だからといって10回中10回失敗したら使ってもらえなくなってしまうから、失敗の数を9回、8回と減らしていくことも大切なんですよ。
下手は下手なりに努力しつつ、さらに出来るところを伸ばしていくことが大切。
サポサポ
なるほど。失敗を減らす努力をしつつも、長所を発揮して結果を出し続けることが大切なんですね。
須藤さん
それが一番に学んだことだね。
なにしろ、すごく高いレベルのチームだったし。
サポサポ
当時の桐光はどういうサッカーをするチームでしたか。
須藤さん
ポゼッションをしてたね。
CBで良い選手がいたから3バックにしてね。
両ワイドに置かれた選手がガンガン上がってくるサッカーをしていた。
俺自身、サイドからのクロスを決めるのは得意だったから結果を出しやすかった。
ボランチもいい選手がいたから、中でくさびのパスもガンガン入ってくるんだけど、そこは俊輔が収めてタメることができたし。
あの監督は選手に合わせたサッカーをしていたってことかも知れない。
サポサポ
そう考えると中学の監督が言ったことは正しかったわけですね。
須藤さん
そう。本当にチームが伸びたからね。
実際にあの時のメンバーからJリーガーが7人くらい生まれている。
サポサポ
チームとしての結果はどうだったんでしょうか。
須藤さん
あの時に東福岡と高校選手権の一回戦でぶつかってさ。
相手にも有名選手がいたね。
山下とか小島とか古賀とか本山とか・・・あいつらが優勝候補だって言われてたよ。
ただ、その試合で開始5分で靭帯をやってしまって。
須藤さん
相手のバックパスに突っ込んでいったら、運悪く足同士で蹴ってしまって。
足首の靭帯を断裂してしまった。
須藤さん
そのあと、三ヶ月くらいは何もできなかった。
でも、その悔しさがあったから、次につながったと今は思ってる。
チーム全体で出来るだけボールを保持して、試合の主導権を取る戦術の事をいいます。
ポゼッションとは日本語で言うと所有、占領、占有といった意味で、サッカーではボールの支配率という意味合いになります。