今回はJ1初昇格の際に最後の砦としてGKでプレーしていた阿部謙作さんにお話を聞いていきます。

幼少期から20代での引退やその後の指導者としての活動について伺いました。
サッカーのキッカケ
サポサポ それでは順番にお話を聞いていきたいと思います。よろしくお願いします。
阿部さん はい、よろしくお願いします。
サポサポ それでは子供の頃のお話から聞かせていただきたいと思います。
当時配布されていたマッチデープログラムによると、小学生あたりからサッカーを始めたとありましたが、実際にはいくつくらいからだったんでしょうか。
阿部さん 私は幼稚園のころに静岡県に越して来たのですか、周りがみんなサッカーをやっていたのでその時から遊びでサッカーはしていました。
実際に少年団に入ってちゃんとサッカーを始めたのは小学校3,4年くらいだったと思います。
サポサポ サッカーそのものには幼稚園の頃からサッカーに触れていたんですね。
阿部さん そうですね。
サポサポ そのマッチデーには、16歳の頃にプロになろうと考えたとありましたね。
阿部さん そうですね、13歳の頃にJリーグが開幕したんですが、その頃からプロになりたいと思っていました。
同時に指導者にもなりたいとおもっていました。
サポサポ その段階で指導者まで意識されていたんですか。
阿部さん そうですね。
中学校時代
サポサポ 中学の頃はどこへ所属されていたんでしょうか。
阿部さん 今の名前だと東海大学付属翔洋(中等部)、当時の東海大学第一中学校ですね。
サポサポ サッカーは中学校の部活動でやられていたということですね。
静岡ですといろいろ選択肢はあったと思うんですが、そこ選ばれたのは理由があったでしょうか。
阿部さん 当時は今と違ってサッカークラブは少なかったですし、全国大会で連覇するような強豪だったこともあって、そこに進学したいと思いました。
サポサポ なるほど、サッカーをするならこの学校という感じだったんですね。
阿部さん そうですね。チームメイトも自分の上には高原(直泰)だったり、下でいえば鈴木啓太だったりと、世代別代表にぽんぽん入るような人たちがいっぱい行くところだったんです。
高原直泰
元日本代表のフォワードでブンデスリーガー。2002年にJリーグMVPとJリーグ得点王を獲得し、2006年にはFIFAワールドカップに出場している。
現在は、Jリーグ入りを目指すサッカークラブ沖縄SVのオーナー兼プレイヤーをしている。
鈴木啓太
浦和レッズで活躍したミッドフィルダー。日本代表でもプレーをしている。
2015年に引退を決め、現在は実業家としてAuB株式会社の代表取締役を務めている。
阿部さん 実はそれより前は、クソ弱小チームだったんですけどね(笑)
サポサポ そうなんですか。
阿部さん 県大会も出られないようなチームでした。
進学したもう一つの理由は、自分が習っていたコーチの息子が先にこの学校へ入っていて、その世代が全国で優勝したということがありました。
その縁で入学前から練習に参加させてもらえて、ここへ行くのがいいんじゃないかと決断しました。
サポサポ そのコーチというのは、どちらの方だったのでしょうか。
阿部さん 小学校の時の少年団でお世話になっていたコーチです。普通の市立小学校にある少年団の方でした。
サポサポ そう考えると阿部さんは小学校の頃から、コーチが気にかけるぐらいの選手だったということですね。
阿部さん そうですね。自分のチームは弱かったんですが、僕自身は県代表とかに選ばれていたので。
サポサポ なるほど、小学校の段階から県選抜に選ばれていたんですね。
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