ヴァンフォーレ甲府
太郎さん
ヴァンフォーレに来てすぐの2003年は怪我でほとんど出場できませんでした。その結果、2004年は半年契約になってしまいました。
でも、その年に札幌戦でゴールを決めて契約が延長されました。本当にワンゴールで決まるんだと改めて実感しましたね。
サポサポ
甲府では17ゴールを決めて日本人得点王になった年もありましたが、そういう結果が出る時は何か違うものなんでしょうか。
太郎さん
監督だった大木さんには「お前、なんでこんないいプレーしてるのに試合に出てなかったんだ、もっと自信持て!」って言われました。自己評価が低かったんでしょうね。
当時、大木さんが自信をつけさせてくれて、安間さんが技術面でのアドバイスをしてくれるという形ができていました。
安間さんとは練習後に、よく二人で遅くまでコーヒーを飲みつつ試合の映像を確認していました。
サポサポ
メンタルからテクニカルまで、全てにおいてサポートがある体制だったんですね。
太郎さん
そうですね。いつも練習後も遅くまでやっているから、最後には大木さんに「お前らもう帰れ」まで言われました。
そんな大木さんも、練習場をホウキで掃きながら「お前らはサッカーをすることが仕事だから」って言ってくれて。
「その分、試合では結果を出せよ」という感じですね。
2005年はそういった環境の中、FWとしても良い相棒(バレー)に恵まれたし、後ろからは倉貫さんとか奈須さんとか健とかが、お前は自由にやれって言ってくれたし。
さらに試合ではサポーターの応援もあって、とても良い結果が出せました。
結婚したのもこの年でしたね。とにかく様々な出来事があるなかで、色々なことを得られた年だったと思います。今考えてもすごい一年でした。
サポサポ
初昇格の時は、当時の状況も相まってスタジアムが非常に盛り上がっていましたよね。
それに、当時のメンバーは随分とキャラが濃かった覚えがあります。
太郎さん
そうですね。ただ、そういうキャラクターを上手く出せていなかった人たちが多かったんじゃないかなって思います。
大木さんや安間さんのおかげで表に立てるようになったっていう選手が沢山いたと思います。
それもあって、サッカーを純粋に楽しんでいましたね。
サポサポ
大木さんが最初に監督をやった時に、最初に取り組んだことは選手たちに自信をもたせることだったと聞いています。
太郎さん
そうかもしれないですね。
最初の練習が終わった時に大木さんがみんなに「今日はありがとう」って言ったんですよ。
大木さんは、良いトレーニングをするには選手たちがやってくれなければ意味が無いからって言うんですよ。
今日、これだけ良い練習が出来たのはお前たちが頑張ってくれたからだと。
心を打つ言葉でした。
サポサポ
初めて聞いたエピソードですが、かなり珍しい考え方ですね。
太郎さん
普通に考えたらこちらが教わっているんだから、ありがとうって言う側じゃないですか。
そういうこともあって、感謝の気持ちを実感させてくれた一年だったと思います。
何しろそこまでは満足に試合にも出られなかったわけですから。
まず出場できたら嬉しいし、点が取れたらさらに嬉しいし。
もっと言えば、多くのサポーターが見に来てくれるだけですごく嬉しかったですよ。
あの当時は勝っていけば、どんどんお客さんが増えたんですよ。それだけでもモチベーションになりますよね。
サポサポ
いろいろなことが一気に上向きになった年という感じですね。
太郎さん
逆に2006年、2007年には第五中足骨を痛めていました。これはスタッフにも言っていなかったんですけどね。出たかったこともあって。
でも無理してやってると、楽しそうに見えないんですよね。
サポーターの方にも心配されましたし、現場でもこう・・・おそらく明るくないというか、ポジティブに見えないですよね。
そういうこともあってか、最終的にはレンタルで出されることになりました。もちろん、自分はまだ出たくなかったんですが。
サポサポ
そして徳島へ移籍することになったわけですね。
全員、ヴァンフォーレ甲府が初めてJ1へ昇格した時の選手です。順番に倉貫一毅さん(MF)、奈須伸也さん(MF)、藤田健さん(MF)です。