日立製作所サッカー部・柏レイソル
太郎さん そういうこともあって、トップに入って一年目は勢いがありました。
ちょうどその年には、トヨタカップに出場するためにクルゼイロECが来日していたので、練習試合をしたんです。
クルゼイロ・エスポルテ・クルーベ
ブラジルにあるミナスジェライス州の州都ベロオリゾンテを本拠地とするサッカークラブです。
トヨタカップでは1997年に準優勝を指定ます。
クルゼイロには有名選手がたくさんいました。ベベットなんかもいて・・・。
実際試合になったら、ジーダ(ゴールキーパー)から点を取れたんですよ。ミドルシュートで。
ベベット
元ブラジル代表フォワードで、1989年には南米年間最優秀選手賞になっています。
ブラジル国内でも数々の名門クラブに所属し、ブラジル代表ではロマーリオと2トップを組んで優勝に導いたりもしました。
ジーダ
元ブラジル代表のゴールキーパーです。
FIFAクラブ世界選手権(コリンチャンス)の優勝や、セリエA(ACミラン)で優勝に貢献した選手です。
この結果で「有望だ」という話になってしばらくは試合に使ってもらえました。
でも、その後は結果を出せなくて、途中からは試合に使われなくなってしまいました。
その後、出場したのはその年の最後にやった試合でしたね。結局、ほぼ1年間は出られなかったんです。スタートで躓いてしまった感じですね。
2年目は試合で使ってもらえるようになって、最終的にはナビスコカップ優勝にも貢献できました。
3年目は怪我をしてあまり出られず。
4年目はある試合でシュートを外したことで評価が下がってしまい、最終的にレンタルに(アルビレックス)新潟へ出ることになりました。
「一本のシュートで人生が変わる」
これを本当に実感した年でしたね。
もっとも、今思えばその一本による結果がプラスになったと思うし、思わなくてはいけないと捉えてます。
サポサポ サッカー人生を変えるきっかけだったんですね。
アルビレックス新潟
サポサポ 新潟に在籍していた時の思い出を教えてください。
太郎さん 印象に残っているのは練習グラウンドをジプシーしたことですね。あれがあったから、その後の甲府でもすんなり環境に慣れることが出来ました。
サポサポ 当時は新潟もそういう環境だったんですね。
太郎さん 県内の色々なところへ行きました。片道40kmの移動とかもありました。二部練もあったので、行ったり来たりしてトータルで100km以上の移動をしたこともありましたし。
二部練
午前と午後の2回練習をすること。
専用練習場がないクラブでは、午前と午後で別の場所になることもあります。
サポサポ さすがに新潟県は広いだけありますね。県内その移動距離というのは大変ですね。
太郎さん 新潟では今の結婚相手にも会いました。他には末岡とか。
末岡龍二
山口県出身のサッカー選手で、2002年から2005年までアルビレックス新潟に在籍していました。
その後はアルビレックス新潟シンガポールへ移籍、そこを皮切りにアジア諸国でプレーし、現在はインドのプネーFCに所属しています。
僕がインドのクラブへ行くきっかけになったのは末岡でした。
他にも、丸山さんとか、新井健二さんとか、海外へ行く時にお世話になった人脈はだいたい新潟時代に会った人ですね。
丸山良明
東京都出身の元サッカー選手で、アルビレックス新潟には2002年から2005年まで在籍しました。
タイでプレイヤーとして引退した後も、育成コーチや監督として活動し、現在はJリーグ・アジアアンバサダーとして活動をされています。
新井健二
埼玉県出身の元サッカー選手でアルビレックス新潟には2001年から2005年まで在籍しました。
シンガポール・アームド・フォーシズFC在籍時には、シンガポールリーグ史上初のリーグ3連覇、カップ戦2連覇に貢献しています。
新潟は一年しかいなかったんですが、先々まで影響がありましたね。
地域のつながり、人のつながりが大きい土地でした。
サポサポ 後々に活きた一年だったってことですね。
太郎さん そうですね。
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