精巣腫瘍
      
        
          サポサポ
          2005年、ヴァンフォーレへ加入するより前に精巣腫瘍になっていますが、その時の心境を教えてください。
        
       
      
        
          宇留野さん
          あれは25歳くらいのころだったんですけど、ちょっと体調が悪い感じでした。
  軽い気持ちで病院に行ったら精巣腫瘍が見つかったんですよ。
  最初は言われた時には生死より先に「サッカーがもう出来ないのかな」って考えが浮かびました。
        
        
  医者に聞いたらサッカーは出来るけど、トップパフォーマンスでのプレーでは難しいと言われたんです。
  そもそも、サッカーの出来る出来ないよりもっと重大な問題(生死)があると。
        
       
      
      
        
          宇留野さん
          その時に、トップパフォーマンスでサッカーができないという事実と向き合ったら、なんでHondaFCの環境で満足してるんだという気持ちになったんですよ。
  もうちょっと頑張っていれば、上を狙えたのではないかと。
        
        
  そんなことまで考えたあとに、そもそも生き死にに関わるという重大性が分かってきたんですけどね。
        
       
      
        
          サポサポ
          サッカーと向き合う姿勢や考え方が変わったんですね。
        
       
      
        
          宇留野さん
          HondaFCに入ったばかりの頃は2、3年やって、そのあとJリーグに行くっていうプランを持っていました。
  ただ、実際にやっていくうちに試合にも出られるようになったこともあって、ある程度満足しちゃってました。
  サラリーマンとして将来も保証されていましたしね。
        
       
      
        
          サポサポ
          自分の中で守りに入ったということに気づいた、ということでしょうか。
        
       
      
        
          宇留野さん
          そうですね。実際、病気がなかったらHondaFCを出ていなかったと思います。
        
       
      
        
          サポサポ
          その後、病気の治療はどのように行われたんでしょうか。
        
       
      
        
          宇留野さん
          発見後は即手術で腫瘍を取り除くという話になりました。僕はそれで治療は終わりだと思っていたんですよ。
        
        
  でも、そのあと体を調べてから、今後の治療について話をしましょうって言われて「え、終わりじゃないの?」ってなりました。
  取った腫瘍があまり良いものじゃなく、転移する可能性が極めて高いとも言われました。
        
       
      
        
          サポサポ
          極めて高いというのはかなり危険だったということですよね。
        
       
      
        
          宇留野さん
          ただ奇跡的に転移はしていなかったんですよ。
        
        
  それで、このあとは転移するかしないかとの兼ね合いになりました。
        
        
  ただ、手術をした病院では、転移する可能性が高いから今すぐにでも抗癌剤治療をした方がいいと言われましたね。
  一方でかなり強い薬を使うことになるので、抗癌剤治療をするとサッカー選手を続けるのは難しいと。
        
       
      
        
          サポサポ
          抗癌剤治療は体にかなりの負担がありますからね。
        
       
      
        
          宇留野さん
          サッカーを続けられないのはまずいぞということになって。
        
        
  そこからですね。色々な医者を回って、最後は都内の築地にある国立がんセンターで相談をしました。
        
        
  ただ、このときは転移をしていなかったので、基本的に病気ではないですから、そういったことをしつつもサッカーを続けていたんです。
  特にコンディションが落ちることもなかったですし。
        
        
  違うことといえば、人生に対して猶予をもらえたという意識を持ったことですね。
  転移してしまえばサッカーはできなくなので、それまでにどれだけのことをやれるだろうかと。
        
        
  だからこそ翌年にはJリーグから声がかかるように頑張ろうという高いモチベーションがありましたね。
  結果的に甲府や他のチームからも声がかかるくらいのプレーがその年はできたんです。
        
       
      
        
          サポサポ
          覚悟が違いますね。
  その頃、病状はどうだったんでしょうか。
        
       
      
        
          宇留野さん
          国立がんセンターで相談したら、今の時点では転移するかどうかわからない。
  だから、その状態で抗癌剤治療をするのは別のリスクもあるし、転移が確認できてから治療をしても問題はないと言われました。
  症状的にすごく抗癌剤治療が効くので、それでも大丈夫ということでした。
        
        
  そういった話で、検査を続けながらもプレーを続けようということになったんです。
        
        
  ただ、ここで話が終わらなくて。
        
        
  その後、年末くらいに腫瘍マーカーの数値が急に上がったんですよ。
  検査をしているのは地元の病院だったんですが、そのときは微妙な誤差で上がってしまうこともあるので、二週間したら再検査しましょうと言う話になりました。
        
        
  それで、再検査をしたら、また数値が上がってたんですよ。
        
       
      
      
        
          宇留野さん
          検査した病院の先生からは、転移した可能性が高いのですぐに抗癌剤治療へ入りましょうって言われました。
  その頃には、転移してしまったら仕方がないと思っていたので、覚悟を決めて入院する準備もしてたんです。
        
        
  そんな中、国立がんセンターにも結果を報告したんです。治療を受けるなら国立がんセンターの方が良いと思ったんで。
        
        
  そうしたら先生に「転移したときはもっと数字が急激に上がるから、これでは転移したとは判断できない」と言われました。
        
       
      
      
        
          宇留野さん
          その先生は「抗癌剤は強い薬なので出来るだけ使いたくない」というスタンスだったので・・・救われましたね。
        
       
      
        
          サポサポ
          奇跡的ですね。その報告がなければ選手生命が終わっていたわけですね。
        
       
      
        
          宇留野さん
          ちょうどそんなときにヴァンフォーレから話が来ました。
        
        
  もちろん、その状況を大木さんと安間さんに全て話しました。
  普通ならそんなリスクがある選手は取らないじゃないですか。
        
        
  そしたら大木さんが「サッカーをやれるなら問題ない」って言ってくれたんですよ。
  ありえないですよね(笑)
  そんなことを言ってくれた人がいるんだから、なんとしてもJ1のピッチに立って活躍したいと思うようになりました。
        
       
      
        
          サポサポ
          懐の深さと大雑把な表現が同居してるあたり、実に大木さんらしいです(笑)
  その後、病状はどうなったんですか。
        
       
      
        
          宇留野さん
          次に検査をしたら数値が正常に戻ってました。
  国立がんセンターの先生が言うには、そういうこともあるらしいんですよ。
        
       
      
     
  
男性の精巣にできる腫瘍(がん)のことです。
罹患率は10万人に1人程度と比較的まれな腫瘍ですが、他の多くのがんと異なり20歳代後半から30歳代にかけて発症することが多いことが大きな特徴です。
また、他の臓器に転移しやすいという特徴もあります。