柏の下部組織
サポサポ
その後、柏のジュニアユースに加入したわけですが、自身の中でサッカーにはどういった変化がありましたか。
新さん
柏ではトップチームがあることで、みんながそこを目指していました。
新さん
そうですね。
自分たちが練習しているグラウンドの横にスタジアムがあって、そこで公式戦が行われていたんですが、中1か中2くらいのときにはボールボーイをやらせてもらいました。
当時はまだJリーグではなくJFLでしたけど、そういう形でトップを間近で見ることも出来ました。
サポサポ
下部組織だけあって身近にトップと接する機会があったんですね。
新さん
そのとき・・・今は山梨でエルドラードFCというサッカークラブをやっている古屋和也さんが、衝撃的な怪我をするのを目の前で見てしまって。
サポサポ
あ~、目の前で・・・。それで恐怖を感じたりはしなかったですか。
新さん
ちょっと怖くもなりましたが、なにより激しさが伝わってきました。
サポサポ
トップチームの激しさ実感したわけですね。
新さん
とにかくサッカー中心の生活でした。
学校が終わればそのまま練習場へ行って・・・とにかくずっとサッカーでした。
勉強していないから大変でしたよね(笑)
サポサポ
(笑)
往復にかなり時間がかかったと書籍にも書いてありましたが、他に何かをする時間がなかったんじゃないですか?
新さん
中学3年から高校までは練習が夜の7時スタートだったので、家に帰ったら10時半とかになっていました。
そこから食事して風呂入って寝て・・・起きたらまた学校行って終わったら練習に行って・・・その繰り返しですね(笑)
サポサポ
ほんとうにサッカー漬けだったんですね。
ジュニアユースからユースへ上がったわけですが、本人としては行けるという自信はありましたか。
新さん
そこそこやれているという実感はあったんですが、その際に何回か受ける面接で一度も明確に「上がれるよ」とは言われなかったので不安でしたね。
そうこうしているうちにいつの間にか上がってたんですが(笑)
サポサポ
気づいたら上がっていたと(笑)
ところで太郎さん(長谷川太郎)が一つ上でしたよね。
新さん
太郎くんとは中学時代から一緒にやっていたんで、そう・・・僕が13のときだから・・・もう23年ですか。
柏レイソルのトップチーム
サポサポ
その後、柏レイソルのトップに上がってプロになりました。
新さん
そうですね・・・6試合かな。4年間いて6試合、全部で90分位の出場だと思います。
サポサポ
自分がかつてボールボーイとして見ていたプロになったとき、どういうことを考えていましたか?
新さん
う~ん、そうですね。
自分の中で、まずプロになることが目的だったんですよね。
なので、入ったことで満足してしまっていたところもあって。
新さん
そうですね、ゴールしちゃった(笑)
ただ、そのあと、やっぱり徐々に試合に出たいって気持ちが出てきて。
いつも登録人数のスレスレのところで連れて行ってもらってましたね。
新さん
3年目のときにチャンスをもらえて。
僕は右利きだったので右サイドを得意としてたんですが、左のウィングバックで起用されました。
がむしゃらに走って。その時は延長があったので20分位だったかなぁ。
とにかく一生懸命走ってました。そしたら息が上がって戻らない(笑)
サポサポ
(笑)
それは体力的なものより緊張だったんでしょうか。
新さん
そうですね、緊張とか興奮とか。何度も出てればそういうこともないんでしょうけど。
新さん
そういえば、そのときも太郎くんと出場したと思います。
山梨県の日川高校出身で日立製作所/柏レイソルでプレーした選手です。
その後は大塚製薬(徳島ヴォルティスの前身)を経て、ヴァンフォーレ甲府へコーチとして加入、J2初期の2001年まで所属しました。
現在は山梨県にあるサッカークラブ「エルドラードFC」でジュニアユースの監督を務めています。